7月某日
各人の院試の日程により、出発日が9月20日いこうということが決まる。
ここで、私は、9月20日は用事があるのでこの日を外してくれなければ行けないとの旨を伝える。
8月某日
2週間ほど今回の旅行の幹事と連絡をとらないでいたところ、出発日を9月21日にする変わりに目的地がモロッコに変更になったとの連絡を受ける。
一瞬言葉につまった後、抗議をすると、「20日に出発するか、モロッコにするかの2択だ。」と決断を迫られたので、仕方がなくモロッコ旅行の決定に従うことにする。
結局、今回モロッコへ旅立つのは、木村、田中(私)、田中(大田中)、本多、永野、小林の6人であった。
フェズでの1泊目は、さすがにモロッコ1日目ということで結構いいホテルに泊まることにする。 そして、このホテルで、我々に先だってヨーロッパから1人でモロッコ入りしていた大田中さんと合流する。 大田中さんに先ほどの話しをすると、予想通り「それは、怪しいよ」という返事が返ってくる。 結局この日は、明日の午前中のガイドの態度を見てから夜の対応を決めようということで決着がついた。
午後はまず、レストランから、メディナの入口まで2人すつにわかれて競争をしようということになり、私はジャンケンで本多君とペアを組むことになる。 ここフェズのメディナは巨大迷路のようになっていて、1度や2度来たくらいでは到底覚えきれないような場所なので、無事出られるか不安であったが、見事トップでゴールすることができた。 その後、私と小林君、大田中さんはメディナでみつけたビリヤード嬢でビリヤードに興じ、ハスラーズの海外合宿としての役割を果たした。
ホテルに戻ると重大な問題が残っており、それは、今晩果たして結婚式のパーティに行くべきかということである。 ガイドが、政府公認とはいえ自分の馴染みの店につれていくのはモロッコでは当然なので、特に良い人とも悪い人とも言えず、結局、私と本多君は残ることにした。 ところが、私と本多君がひと足先にホテルを出て夕食を食べていると、向うの通りから見なれた顔が4つ歩いてくるではないか。 どうしたのかと聞くと、「30分くらい待っていたが、あのおやじ、やってこないんだ」とのこと。 結局、逆にすっぽかされたようで、残念というか、ほっとしたというか。 私見では、午前中にガイドともに店を回った時、我々があまりに金の使い方が渋いので、これはあまり金を持っていないのではとあの男が思った、というところだと思っている。 結局、特に何事もなく、この日も終る。
昼食を食べた後、いよいよグランタクシーを捕まえて南方を目指す。 ここでグランタクシーと言うのは、都市間を結ぶタクシーで、運転手を入れて7人乗り。 特別大きいかと言うとそんなことはなく日本の普通のタクシーと同じサイズで、前に2人、後ろに4人乗るという日本ではとても考えられないものなのだが、このような状況で140km位のスピードで飛ばすものだから、モロッコの交通法はとてもおおらかなものである。 グランタクシーにしばらく揺られると人の住んでいる気配が全くなくなり、ひたすら目の前のアトラス山脈と地平線しか見えないような環境になってくる。 アトラス山脈を越えると、景色は今までのモロッコとは全く違った表情を見せるようになり、いよいよ砂漠が近くなった雰囲気である。 しばらく走っていると、前方から同じ会社のタクシーがやってくる。 運転手は車を止めて相手の運転手と何やら話しをする。 地球の歩き方に、グランタクシーに乗っていると車を変えることがあると書いてあったがまさにその通りで、向うからやってきたグランタクシーはこれから我々が向かうエルラシディアから来たグランタクシーで、もうすぐ日が暮れるので自分の家のある町に帰るためにお互いに客を入れ換えたようであった。 グランタクシーを乗り換えて2時間ほど走るとグランタクシーはエルラシディアの町に到着した。 日も暮れていたのでタクシーのドライバーにホテルにつれていってもらおうとしたところ、そのドラーバーが、「今夜はうちに泊まっていかないか」と言いだした。 ホテル代がまるまる浮くわけであるがちょっと不安である。 しかし、木村君などは大賛成のようで「Thank you,Thank you」と言っていて、特に誰も大反対はしなかったのでそのタクシードライバーの家に泊まることになる。 6人が泊まるわけだからどれほど大きい家なのかと思ったが、期待はみごとに裏切られ、ついたところはいかにも空き家というところ。 そこにこの男は勝手に毛布を持ち込んで、一人暮らしをしているようである。 その日は、6人が1部屋にメザシのようにならんで寝て、その男は友達の家に泊まると行って出ていった。 その時に、夜の間に誰が来ても絶対に戸を開けるな、ということと、翌日の7時に迎えに来ると言い残していった。 まあ、これらのことは、翌日また我々をタクシーに乗せて行けば、会社を通さずに稼ぎを得ることができるからであろうと思われる。 あまり寝心地が良いとは言えなかったが、疲れていたので程なく眠りについた。 まあ、モロッコに来た以上このような経験も良い経験かも知れない。
エルラシディアを出発すること1時間。 砂漠の入口の町エルフードに到着する。 砂漠に行くと水の値段も上がるだろうということで、この町でミネラルウォーターを買い貯めていく。 本多君がターバンを買ってきて頭に巻いている。 まあ、砂漠で買えばいいと思っていたが、それは少し考えが甘かった。
エルフードからメルズーカに向けてグランタクシーを走らせること15分。 突然舗装道路がなくなり、ここから2時間あまりの道なき道の走行が始まる。 この道なき道というのは、いわば岩砂漠といったところで、過去に通った車のタイヤの後を頼りに進んでいくところである。 走り初めてしばらくすると、このような砂漠にはタクシーではなく4WDで来るべきだったという話しになるがもう後のまつりであった。 狭い斜体の中で、暑い日差しと砂煙に耐えること2時間弱。 ようやくメルズーカの村に到着する。 どこかホテルにつれていって欲しいとドライバーに言うと、絨毯屋の前に車を止められた。 どういうことかと聞くと、その絨毯屋の経営者の弟がホテルを経営しておりそのホテルが開くのは12時からだから、それまでお茶でも飲んでいけと言うのである。 お茶を飲んだ後は、絨毯を出されて交渉になることは明らかであったが、特に断る理由もなくついていく。 始めのうちは、以前にここに訪れた客の写真や寄書きなどを見せながら話しをしていたが、一通りお茶を飲み終ると絨毯を持ち出していよいが交渉が始まった。 我々のうち一人が犠牲になってその男の話しを聞いている間に、残りの人はターバンはどうだと持ちかけられる。 元々買う気があったものなので結構真剣に選んだが、値段を聞いて驚く。 何と、本多君が買った値段の倍以上である。 高いと言うと、品質が違うから当然だと言って向うも引かない。 こちらがみんなで買うから負けろと言っても一文たりとも負けないと言う。 結局、砂漠では何か被るものがないと辛いだろうということで向うの言い値で買うことになった。 どうやら、砂漠では、向うはかなり強気に出てくるようだった。 絨毯の方も結局一人が買わされることによって解放され、ホテルに向かうことになった。
メルズーカに来た目的と言うのは砂漠ツアーに行くことである。 砂漠ツアーと言うのは、基本的に砂漠に泊まるタイプと泊まらないタイプがあり、我々は始めから泊まることを目的に来たのである。 ホテルにつくと、荷物起き場用の部屋を割り当てられてから砂漠ツアーの交渉に入った。 向うの言い値は一人450DH。 地球の歩き方によれば200〜300DHと言うことだったのでちょっと高いという印象である。 しかしここでも、我々に交通手段がないという弱みによって足元を見られ、結局この値段で承諾することになった。 出発は午後5時。 予定としては、砂漠で夕日が沈むのを見てから夕食をとり、満天の星空のもと砂漠に一泊し、翌日朝日を見て帰ってくるというものである。 出発までの時間は、しばし昼寝などをして鋭気を蓄える。
5時になると、砂漠ツアーの出発の準備も整い、いよいよ出発することになる。 当然のことながら交通手段はラクダ。 ラクダどころか馬にすら乗ったことのない私は、期待と不安でいっぱいの気持ちである。 ラクダは立ち上がる時かなり揺れるので降り落されそうになるが何とか堪える。 しかし、本当に辛いのは歩き始めてから20分くらい立ってからであった。 股はすれ、腰はいたくなり、降り落されないように支え棒を握っている腕まで痛くなる。 この時は、もう二度とラクダになんか乗りたくないと思ったものだが、ラクダは馬のように立ち上がる危険がないことが段々わかってくると、楽な乗り方も段々わかってきて、何とか一人前に乗れるようになる。 そうこうしているうちに日も沈み、宿泊地に到着する。 我々はもう疲れきっていてあまり何もしたくない状態であったが、ガイドの人たちがせっせと夕食の準備をしてくれる。 だた、その夕食というのは、モロッコ特有の硬いパンと、モロッコの民族料理でそろそろ食べ飽きてきたタジンという料理だったので、私はあまり食べなかった。 他の人も疲れなどから体調が優れないようで、皆あまり食べなかった。 夜は、砂漠に毛布をひいて夜空を見ながら眠ったのだが、あまりの寒さに私は頭から毛布を被り、とても夜空を楽しむ余裕などなかった。 あの寒さは、風があった分モスクワ以上だったように思われる。
エルフードに到着すると、絨毯屋の旦那は、早速次の町へのタクシーを手配してくれたのだが、紹介された値段なのでむちゃくちゃ高い。 さすがにこの町ならば、自力で交通手段を手に入れることが出来るので、値下げの交渉に入る。 この時、初めて私が直接交渉をしたわけであるが、さすがに英語で交渉するのは大変で、とりあえず1人150DHから100DHまで値段を下げて皆の意見を待つ。 本来ならもう少し下げるべきだったかも知れないが、皆の意見が、まあこれでいいよ、ということだったのでこの値段で次の町ティネリールに向かうことになった。 また、大田中さんはひと足先に日本に帰るということなのでここでお別れであった。
エルフードからティネリールまでは2時間あまりということであったが、30分位走ったところで川の水が溢れて大きな水溜りになっているところにさしかかった。 それほどの深さがあったわけではないが、なにしろこのタクシー、車体が低い。 前方には無理に渡ってエンストしている車が一台止まっていたので、運転手が弱気になってしまっている。 まあ確かにここでエンストされても困るのだが、モロッコには迂回路などというものは存在しないので(都市間を結ぶ道路は1本しかない)、いくしかない。 後ろからバスと乗用車が来て、車体の高いバスがなんなく渡り、続いて乗用車も何とか渡ったので運転手も心を決めたようで、我々5人は歩いて渡り、軽くなった車体で水溜りを渡った。 この水溜りは何とか渡り切ったわけであるが、これが原因か、この後車の調子が悪くなり、結局3時間半ほどかけてティネリールに到着した。
ティネリールに到着すると、私と本多君は、残りの3人と別行動をすることになる。 というのは、大学の授業の関係上先に日本に帰るためであるが、なにしろカサブランカ−モスクワ間は1週間に1便しかないため、アエロフロートでモロッコにいく人は、皆1週間単位の旅行になってしまうのである。 我々2人は、このまま夜行バスで次の目的地、モロッコ第2の古都マラケシュに向かうつもりであったが、目的のバスが、すでに売り切れていたためティネリールで1泊することになってしまった。 それならば、分かれた人たちと合流すれば良かったのであるが、すぐにガイドに捕まりホテルを紹介される。 どのようなホテルを紹介されるのかと身構えていると、その男は地球の歩き方を見せてくれと言ってきて、今から紹介するホテルはこのホテルだと指さして言う。 高いホテルを紹介されるかと思いきや、結構安いホテルを紹介するので、合流することをあきらめてそのホテルに1泊することにした。
ホテルのチェックインをすませると、ホテルのオーナーがこの町をガイドさせてくれと言ってくる。 ガイド料はいらないし、20分くらいで終ると言う。 今までの経験から、20分で終ると言うことは絶対になく、ガイド料をとらないと言うことは、代わりにお土産やを梯子させられるということを意味するので断ったのであるが、あまりにしつこいので渋々つき合うことになってしまった。 ホテルのオーナーは、2代目のボンボンらしく、そのホテルは父親のものだったらしく、自分はまだホテルの経営を勉強中だと言う。 しかしながら、アラビア語、フランス語の他に、英語、スペイン語、ベルベル語を話し、今また日本語を勉強しているので、なかなかのインテリのようであった。 オーナーに始めにつれていかれたところは自分の家で、くつろいでミントティーでも飲んでいけと言う。 あまり気を許さずに、それでも勧められるままにミントティーを飲んでいると、妹の旦那という人がやってきて、私の妻が織った絨毯を見てみないかと言ってくる。 しかしながらその時は、相手が何と言ったか分からないまま、ついイエスと言ってしまい(一番やってはいけないことなのだが)、さまざまな大きさの絨毯を持ってこられてしまう。 絨毯を買う気などさらさらなかったので、この時点で自分の過ちに気づいたが時すでに遅く、すぐさま商談に入ってしまった。 大きな絨毯は元から買える値段ではなく、向うもそれは承知しているようですぐに引き下がったのであるが、小さな絨毯は何としてでも売ろうとしているようでなかなか引き下がらない。 向こうが最初に提示してきた値段は400DH。 それに対してこちらが提示した金額は40DH。 買う気はなかったが、自分のミスで交渉に入ってしまった以上買わないと向うも引き下がらないし、本多君にも迷惑をかけると思い、出来るだけ安く交渉を成立させるために頑張ることにした。 40DHといった時には、決まり文句のように「You are crazy!」と言われたが気にせず、「This is my price.Write your price.」というように、次々と交渉が続いていく。 こちらとしては、100DHに抑えたかったので、ジワリジワリと値段をあげていくのであるが、60DHあげる間に300DH下げさせるのはさすがに難しく、こちらが100DHといって、「This is my last price!」といった時には、向うの言い値はまだ180DHであった。 100DHまで下がらなければ買わないつもりであったが、旅先のせいか意志が弱く、「This is the middle price.」といって140DHを示されると、ついにその値段で買ってしまった。 結局この後香辛料の店、ジュラバの店、音楽テープの店につれていかれ、何らかのものを買わされた後、スパゲッティを食べにいくことになった。 久しぶりに、モロッコ料理でないものを食べられると思ってついていくと、何とその店には先ほど分かれた3人がいるではないか。 彼らはどうやら、この町で1、2を争う高級ホテルに泊まるらしく、かなり素晴らしい部屋を見せてもらう。 夕食後、オーナーと木村君、本多君の4人で別の土産物屋にいったのだが、この店は他の店とはひと味違った雰囲気であった。 というのは、誰もしっかりとした英語が話せないせいもあったのだが、しつこく品物を勧めてくることもなく、また値段が安いのである。 フェズや、メクネスなどの土産物屋の始めの言い値の3分の1位の値段である。 これがティネリールのやり方かも知れなかったが、今までに比べると値切らなくてもいいような値段だったので、向うの言い値でいくつかお土産を買ってしまう。 まあ、値切る労力を使わなかっただけよしとしよう。 結局この日はこのままホテルに戻って寝ることになった。
ワルサザードという町まで、ほぼ4時間の道のりの間は、周りが岩砂漠といった感じであまり変わり映えのしない景色であったが、ワルサザードを過ぎて再びアトラス越えにかかると、雄大な山脈がさまざまな景色を見せながら移り変わっていく姿は素晴らしいものであった。
予想よりも少し早く、午後4時頃マラケシュに到着する。 早速ホテルを決めて、マラケシュの観光に行く。 といっても、もうここでモスクを見学する気はなく、メディナにお土産を買いにいくだけである。 私は、この日はウインドウショッピングをして、実際に買いものをするのは翌日にしようと思っていたので何も買わなかったが、本多君は買いたいものがあったらしく、この日は彼の買いものにつき合うことにした。 まず、始めに入った店は、結構日本語を話せる主がいる店で、いかにも偽アンティークショップというような店であった。 結局本多君は、店の主が始めに言った値段の5分の1の値段でお土産を買ったが、それでも店の主は結構すんなりと売ってくれたので、ここではフェズと同じように、10分の1くらいの値段から交渉をしないといけないと痛感させられた。 その後2、3軒回った後、本日の観光を終了にしてホテルに戻ることにした。 今晩は、特に出かけることもなく、夕食をとって、このまま休むことにした。
マラケシュの観光を午前中で済ませて午後からは最終目的地カサブランカに向かう。 モロッコの電車というのは、大都市間を結ぶものでさえ1日に数本しかないのでかなり余裕を持って駅に向かう。 予定通りの電車に揺られること4時間。 カサブランカに到着する。 予定していたホテルが一杯だったので、第2候補のホテルを探すがなかなか見つからない。 そうこうしているうちに、ガイドに捕まってしまいそのガイドにホテルまでつれていってもらう。 そのガイドは、「ガイド料はいらない。親切でやっているだけだ。」というが、経験上向うから話しかけて来る人に親切でやってくれる人はいないので断るが、断り切れず行動を共にすることにする。 とりあえず、行きたいところがあったのでそこにちゃんと連れていってくれるか試してみたら、ちゃんと連れていってくれるので後で何を請求されるか不安になる。 不安はやはり的中して、最後にその男の馴染みの高い店で夕食を食べて、その男の代金まで払わされ、挙げ句の果てに帰りのタクシー代まで払ってくれといってくる有り様。 始めからある程度予想していたことなので、始めに断り切れなかったのが敗因と割り切って払ってやる。 その後ホテルに戻って素直に寝ることにする。 こうしてモロッコ最後の夜が更けていった。
1時間ほどの拝館時間が終り、ホテルに戻る。 ここで本多君と合流して空港に行くためにカサブランカの駅に行く。 駅に本多君を残して40分ほど駅の回りの店を見て戻ってくると、何とそこには日本人の2人組かいた。 彼らは、2週間でモロッコを回ったらしく、これから同じ飛行機で帰るところだと言う。 さすがに、学生で安くモロッコに来ようとするとアエロフロートを使うのだなと思い知らされる。 空港に到着すると、とりあえずDHを円に両替する。 否、しようとした。 ところが、今円はないといわれて結局USドルで返されてしまった。 その時の対USドルレートがおよそ140円。 今のレートではとても両替することが出来ず、今も150ドルほど手元に残っている。 その後、特にすることもなくチェックインの時間を待つこと2時間。 ようやくチェックインを済ませて免税店を回るが逆にここではモロッコらしいものがほとんどなく、ほとんど何も買わずに搭乗時間を待つことになる。 搭乗時間が近付くと、今までは早く日本に帰りたいと思っていたのに、少し帰るのがもったいないかななどと感傷にふけってしまったが、やはり、今は早く帰りたいという気持ちが強いことを再認識させられる事態が起こるのである。 午後4時。 飛行機はカサブランカの空港を後にし、我々はモロッコを後にした。
飛行機に乗ってしばらくすると、第1回目の食事が出される。 この時点で少し気分が悪かったので、半分くらい残す。 ところがこの後が大変で、熱を出してしまい、頭がいたいので寝ることも出来ず、成田までの10時間がとてつもなく長いものになってしまった。
10月6日
何とか体調も回復し、これでやっと無事に帰ってきたという感じである。
おわり。