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背景

これまでに自律的なエージェントが協調を目的として 言語獲得や言語を進化させる研究としては, まず Werner と Dyer による 研究があげられる[12]. これは人工生物の集団を自律的なエージェントと見立て, 雄が雌に近づくため に, 雌が発するメッセージを雄が理解していくというものである. メッセージは 4桁のビット列からなり, 学習機構はニューラルネットを用いている. この研究 では, 一種の言語や通信規約を多数の自律的なエージェント群に自己組織化さ せようとした基本的なモデルを提供した. また, 小野典彦らは小野典彦, この Werner らの研究の延長として, この 人工生物群に一部修正を施したモデルを提案している. ここでは, 学習機構とし て分類システムを用いて経験的かつ遺伝的に学習させている.

Wernerらや小野典彦らの研究はあくまで自己組織化を目的とし, その手段のひ とつとしてメッセージプロトコルを形成させているため, このプロトコルを言 語とよぶにはあまりにも単純なものであった. しかし, 橋本 [15]らの行 なった研究は, 各々のエージェントが文法を持ち, その文法を学習することによっ て, 他のエージェントとコミュニケーションをすることを試みた. ここでは, エージェントは speaking/ recognizing/ being recognized の3つが学習によって満たされることを, 文法の進化と呼んでいる. ここではこれまでになされた, 学習によって言語獲得をする自律エージェント に関する研究について述べた. ここにあげた研究例は, エージェントが話す言語はどれも0, 1で書かれ たビット列ではあるが, コミュニケーションをするために言語を変化させてい く能力をもつマルチエージェント・モデルとして興味深い.

本研究においては自然言語を話す自律エージェントが自分の意思を相手に伝達 すべく学習をし, 結果として双方がそれまでに話していた言語の特徴を合わせ 持った混合言語が発生するようなモデルを提案する. したがって, 上述の研究事例と大きく異なるところは, エージェントは自然言語文で会話をするということと, 意味のある文を発話することにより, 文が認識されるということは, 単にパースできる文法を備えているというだけではなく, 伝達すべき意味が伝 わったかどうかということである.

エージェントを人に見立てて, 自然言語を話すモデルを提案 したのは小野哲雄[13], [14]らである. 小野は, 子供が大 人の会話を聞くことにより, 自らの文法を精緻するという問題を扱った. 文法が未熟な子供が大人との会話を聞くことにより, 素性 (単数/複数, 性, 人称の一致) などを獲得していくとい うモデルである. ここでは言語は自然言語文で, 文脈自由文法で書かれ た文法を, 遺伝的アルゴリズムと分類システムを用いて学習している. ここでは, 子供が大人の文法を学ぶためには大人が子供の文法を真似て, 歩み寄っ てやらなければ子供の文法は決して収束しないということが述べられている. つまり, 既に完全な文法を持っている大人のエージェントが, 学習機構を備えた 子供のエージェントに対して協調することにより, 子供のエージェントの学習 効果が高められるということである.

このことは言語学的にも同じようなことが述べられている. Pinker [16] は, 耳が不 自由な親が子供を育てる場合, TV を見せ続けても子供は決して言語を習得し ない. 子供の言語獲得に必要なのは, ゆっくりと喋り, 子供に歩み寄った文法を 使う母親語だと述べている. また, Todd [10] は, 人間は文法を簡単に するレジスタをもっており, 自分を相手に歩み寄らせたり, 文法を学ばせるため に, このレジスタを使うのだと述べている. つまり, 人間の内部で行なわれている言語獲得に関する学習を, 自律エージェン トによる協調という形でモデル化したものとして評価できる. 言語融合に関しては, ピジン (pidgin) とクレオール (creole) がよく知ら れており, その特徴を簡単に述べると以下のようになる.

ピジン
共通の言語をもっていないが, 通称その他の目的で互いに話を したいと思っている人びとの間に発達した伝達のシステムである. ピジンは, そのもとになった言語に比べて, 語彙は限られており, 文法構 造は単純化され, 機能する範囲ははるかに狭い. ピジンを母語とする者は 誰もいない.
クレオール
クレオールは, ある共同体の母語となったピジンのことをいう. こ の定義は, ピジンとクレオールが言語発達という単一の過程における2つの 段階であるという点を強調したものである.

ピジン化過程の構成要素としては, 簡略化(simplification)・縮小 (reduction)・再構成(restructuring)・混合(mixture)などがあげられる. これらはクレオールの特徴とされることもある.

ピジンは, 本来それを必要とする状況がなくなれば, 自然消滅することが多い. わずか数年で消滅することもあり, 100年以上使用されることは滅多にない. 例えば, ヴェトナムで使用されていたフランス語のピジンは, フランス人が引 き上げるとほとんど消滅し, 同様に, ヴェトナム戦争の時に現れたピジン英語 も, 戦争が終わると消滅したのである. しかし, 場合によっては, 異なる社会状況のもとで存続し, 語彙的・文法的に 拡張され, 安定的に使用される地域共通語(stable pidgin, expanded pidgin, lingua franca) となったり, また, それを母語として話す人々の登場により クレオールとなったりする. ピジンの中には, 異言語間の伝達の手段として非 常に有用になり, 日常的な補助言語として, それまでよりも公に認められた役 割を果たすようになったものもある. さらに, 共通語としての公的な地位を社 会によって与えられることもある. これは, 「ピジンの拡張」といわれ, それ は, 使用者の要求に答えるために新しいかたちが付け加えられ, 以前よりもは るかに広い範囲の状況で用いられるようになるからである. 集団接触にともな い, 特にピジンが出現し安定化する要因としては, 共通コード体系の欠如/ 使用領域の限定/ 短期間での形成 の3つが考えられる. 典型的なピジンとしては, ハワイ・ピジン/クレオール, チヌーク・ ジャーゴン, ハイチ・フランス語クレオール, クリオ語, カメルーン・ピジン 英語, トク・ピジン語(ネオメラネシア語)などが知られている.

言語獲得に関しては, 幼児期における第1言語獲得に必要なプロセス, つまり, 子供の文法を精緻するためには親も子供に歩み寄った寛大な文法を使わなけれ ばならないことは, 同じである. 大人にとって, 既知の言語から新たな言語を理解するということは, 子供にとっては, 心的言 語から母語を学び取るということと同じことである. 人間には生得的に言語を 身につける普遍的な能力が備わっており, それによって幼児が第1言語を獲得 することと同じような現象が, ピジンを生成する過程にも現れるのではないか という意見もある. もし, 全ての人間が, 言語を習得し, 操作するという生物 的な素質を持って生まれてくるならば, 表面上は異なって現れていても, あら ゆる言語に共通する言語普遍性が存在すると思われる. さらに, いろいろ異な る接触状況を調べてみると, 話し手が, 時にはこのような言語普遍性, すなわ ち, いろいろの言語状況に対処しようとするこのような傾向を, 利用または再 活性化できるのではないかと思われる. 大人も, ある条件下におかれると, 幼 児期における言語に逆戻りするということは, 興味深い. 大人であっても, 必 要に迫られると, 自分の正常の言語を単純化して使うことが可能である.



Mitsubishi Research Institute,Inc.
Mon Feb 24 19:32:21 JST 1997